マラソン、駅伝

初めて駅伝に参加してみました

僕は普段は完全なファンランナーで、大会参加よりも普段の健康管理を目的に日々走っています。大会は2014年のつくばマラソン以降、まったく参加していなかったのですが昨年末にひょんなことから地元の駅伝大会に参加することになりました。

これまでいくつかのマラソン大会には参加したことがあったものの、駅伝は初めて。そんなわけで初駅伝は色々と面白い経験だったので、備忘録も兼ねて駅伝について思ったことを書いてみたいと思います。

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目次

駅伝参加のきっかけ

昨年の11月ごろ、子供の習い事の保護者会で地元の駅伝大会に参加する企画が持ち上がりました。小規模なイベントだったし、どうせ保護者の参加はエキシビジョンマッチ的なものだろうと気楽に参加表明してしまいました。

1チーム5人、第一走者は約4キロ、第二走者から最後の第五走者までは約2キロの計12キロのかなりライトな駅伝でした。僕はどうせ参加するなら2キロじゃ少ないから、と第一走者に立候補し4キロ走ることにしました。

駅伝に向けた練習

実質駅伝に向けた練習期間は約1カ月しかありません。普段から走っているとはいえ、普段はキロ6キロから7キロのかなりゆったりとしたペースでゆるゆる走ってばかりなので、いかんせんスピードを出して走る身体になっていません。そこでまずは早く走れる身体にすることを目的にスピードを意識した練習に切り替えました。

といってもノウハウがあるわけでもないので、3キロほどウォーミングアップでゆっくり走った後、200メートルダッシュして、200メートルをスピードを落として呼吸を整えて走るというのを10回ぐらい繰り返すというのを週1~2回のペースで行いました。

普段使っていない筋肉を使うものだから、太ももやふくらはぎといった走りに直接使う筋肉だけでなく、股関節や腹筋、背筋も筋肉痛になるなどなかなかしんどかったです。

そして何より辛かったのが心肺にかかる負担がすごいこと。息ができなくなったり、気持ち悪くなるぐらいに息が上がるのでとにかくしんどい。一人で追い込めるレベルはたかが知れているとはいえ、それでもきつくて毎回練習が憂鬱でした。

しかも走っても走ってもペースは上がらず苦しいままで、大会が近づいて来るにつれ不安が高まってきました。

第一走者で大きく遅れたら後から走るメンバーに迷惑を掛けてしまう。

とにかくこの思いだけで必死に練習に励みました。

駅伝当日

駅伝の前日に北海道から飛行機で帰ってくる予定だったのですが、例の豪雪の影響でフライトが遅れに遅れ、帰宅したのが深夜の3時過ぎ。数時間しか眠ることができずに駅伝を走ることになり、少し不安がよぎりました。

そして、大会がはじまりいよいよ一般の部の駅伝がスタートします。スタートラインに立って周りを見てみると、やはり各チーム第一走者は本気で走ってそうなメンバーを揃えてきているようです。体型からして違います。僕みたいに肉付きのよい人は少数でこの時点で不安がピークになります。

マラソン大会、駅伝

そしていざスタート!

最初は何とか集団に食らいついていくも、あまりのペースの速さに徐々に身体が追い付かなくなり、少しづつ少しづつ遅れていきます。おかしい、こんなはずじゃない。

でも手元の時計を見る限り、普段の練習より遥かに速いペースで走っている。これは周りが相当速いから仕方ない、自分にできる最大の速度で走り切ろう、と気持ちを切り替えて歯を食いしばって前を向いて走ることに集中する。

ありがたいことにきつさがピークになるポイントでチームメイトが待っていてくれて応援してくれました。

集中力が切れそうになった時の、チームメイトの声援にこれほど勇気づけられたことはありませんでした。これは駅伝大会の醍醐味の一つですね。

結果、情けないことに僕は壮年の部で最下位、一般の部全体で見ても最後から2番目という惨憺たる結果しか出せませんでした。

ゴール直後は倒れそうだったけど応援のために移動し、あと自分でできることはチームメイトの走りをサポートすることしかないので、みんなの応援を思いっきりやりました。

駅伝を終えて

結果としては壮年の部で最下位ということで残念な結果となってしまいましたが、駅伝はきついけど楽しい!と思いました。

一人で走るわけではないので責任感も大きいし、ペースも速くなるのできついのですが、チームとしての一体感を得ることができるし、何よりみんなで闘っている感があってチームスポーツのようなすがすがしさがありました。

なのでまた機会があったらチャレンジしたいな、と思ったのでした。